嫌われたっていいじゃない 続き

ずいぶん前ですが、

「嫌われる勇気」という本をここで紹介しました。(去年の四月です)

一回読んで面白かったからブログに書こうと思ったら、

全然うまく説明できないことに気づき、もう一度読んでから書いた、というもの。

でも今読み返してもまぁひどい尻切れトンボな文章だ!

これじゃだれも手にも取りたくならないですね。

 

その後もことあるごとに読み返し、時にはパラパラとめくって出てきた部分を読む、

なんてことをしていたのですが、

久しぶりに通して全部読んでみて、

当時の自分の理解がいかに幼稚なものだったか、ということに気づきました。

 

「原因論」から「目的論」に考えを移してゆくのは、

辛い目に遭い、傷ついて来た人ほど時間のかかる作業かもしれません。

なかなか呑み込みにくい提案です。

自分が辛いのはあいつのせいだ、と考えていたほうが楽ですから。

でも、その部分は比較的わかっていたように思います。自分では。

 

それよりも最後に書かれいていた、

人生とは刹那の連続という言葉の意味が、最初は今ひとつ理解できませんでした。

 

人は過去を振り返ることも、未来を想像することもできますが、

今を見つめることだけが出来ません。

今!と思ったとたんその今はさっきのものになって、

すでに過去です。

だから

「今この瞬間」というのは、意外と意識出来ていないのです。

 

自分の場合、いつも先を焦っていたり、考えすぎていたりしています。

これに気づいたのもヨガの時でした。

 

私の習っているヨガは毎回同じポーズを繰り返し行うので、

次のポーズは苦手だな、きついんだよね、いやだなぁ、なんて、

自然と思っているんですよね。

でもそれ、ポーズ始まる前に考えてもまったくどうしようもないことです。

前もっていやだなと思っておいたら次、上手にできるわけじゃないんですから。

だったら考えずにやればいいだけなんです、

その時が来たら。

 

そしてそのポーズの最中例えば、

前屈して膝うら、腿の後ろが痛いと。

するとまた考えるわけなんです。

「あー後どれくらい続くのか、この先生結構キープ時間が長いんだよね、ううー」

…そうじゃなくて。

ポーズは、膝うら伸びてる今、の連続でしかないんだな。

そして面白いことに「今、今、今」と繰り返してだけいると、

先を考えて嫌がっているよりしんどくないから不思議。

 

それ以来、「今」を意識することが面白くなってきました。

生きているということは今の連続であって、過去も未来も考える必要はない。

そう思ってとにかく今だけに集中していると、

次に何をするかも自然に見えてきます。

だから落ち着いていられます。

 

これね、うまくできたときは、でして、

いつでもそうできてるわけではないところが、

ポイントなんですがね!

 

というわけでこの本はおススメいたします。

幾度も読んで、自分のものになってゆくのが楽しいです。

違うところで目にした考え方や文章が、

理解のヒントになることもあると思います。

そうやってみると、偉人というのは

「けっこうみんな同じようなことを言ってるんだな」というね。