先日書いたブログ記事に関して、
メールをいただきました。
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「大根役者」にかけて、大根を食べるのを嫌う役者さんがいるそうですが、
昔は、タケノコを食べたがらないお医者さんがいたとか。
そのこころは…
「タケノコ」は「ヤブ」以前だから。
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その方は「某所でキュウソネコカミにライブをしてほしい」
と綴っていました。
念がこもっていました…。
なにやら、あったのでしょう。
アルバムを聴いた友達も、
「あれはウケる!」と。
どうして「ヤブ」医者というのかは知りませんが、
言われたくないことは間違いないですよね。
そして、
もちろん感謝のほうが多いのでしょうが、
病院界隈に色々文句を言いたくなるような経験、
誰でもしているのではないでしょうか。
医師に限って考えたところでも、
見立てがわるい 言い方がひどい こちらの身になっていない
など、よく聞く話です。
痛みに関していえば、「筋肉が関与する」という視点がすぽりと抜け落ちているがための
悲劇があちこちでおきていて、
それはなぜかというと「医学部でそもそも筋肉に関して学ばない」
からだ、といいます。
この場合、自分で常になぜだろうと思ったり、全く違った見方や方法にトライするという
行動力が無いと「筋肉」にたどり着けません。
忙しくてそんな暇が無いのか、
上からの圧力が強くてほかの方法なんて試せないのか、
そもそもからだをつながりのある丸ごとの個体として見る、という
からだも心も、内臓も筋肉も、お互い計り知れない影響力があるのだという
そういう風に習わないし、
そういうセンスを磨く場もないのかもしれません。
個人的にいえば、
もちろん誤診なんてされたくもありませんが、
その前に、もしそのお医者さんとの間に信頼関係が出来ていて、
間違った時には「申し訳ない、見ぬけなかった」と言われたとしたら、
知らんふりされるよりどれだけ落ち着けるだろうか、と思うのです。
そのうえで切り取ったり痛み止めを出されるだけでなく、
どういう生活が改善には必要なのか?という指導をしてもらえたら、
自分に出来ることがあるというのは素晴らしいと思うのですが。
少しですが大きな病院でアルバイトをしたり、働いた経験があります。
小さな子が亡くなって行く現場もありました。
両親に付き添って何度か診察室に入ったこともあります。
自分自身が子供のころかかっていた近所の診療所の記憶もあわせてみると、
その中で印象に残っているお医者さんは皆、
どことなく会うと安心できる雰囲気がありました。
人間味がありました。
それから、「医者なんて全然世間のこと知らないからさー」とちゃんとわかっている先生もいました。
「病院と家しか行き来してないからねぇ」
そう、特に大病院勤務だったりすると本当に時間が無いのだとは思います。
先生先生と持ち上げられるだけで、頭を下げる機会が無いのも生きていく上では偏り過ぎている。
うーむと感じる人に会ったりすると、
医者も、ビラ配りとか居酒屋のバイトとかしてみたらいいのになぁ~とかよく思いました。
自分もたまに「先生」なんて呼ばれると危機感を覚えます。
言われた途端、偉そうになってしまうのです。
お医者さんとも「タメ口」きけるようだといいんでしょうか。
「田中ちゃ~ん、どう?俺の結果」
「まあまあいいんじゃないすかね~」
みたいな。
ダメか。
患者サイドもありがたみを求めてるんですな。
同じ人間なのにね。
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Loyd Timm (金曜日, 03 2月 2017 19:06)
Hi to every one, for the reason that I am truly keen of reading this weblog's post to be updated daily. It carries pleasant material.