この間ある方と話していて「父は95、母は65で亡くなったの」ときかされたとき、
私は普通に「65歳って早いですよね…」ともらした。
のですが。
帰り道歩きながらふと何かが引っかかって、よくよく考えたら、
「65歳で亡くなる」ことが早いかどうかなんて、
何を基準に私が言えることかしら??
本人が「早かった!」と言っているならともかく。
平均寿命よりは短いから?お父さんは95まで生きたのに比べると短いから?
若くして亡くなるのはよくないこと?
どれもこれもよく考えるとおかしい。
私の中には「今は80こえる人なんてザラ、90こえたら長生き=立派
70代60代で亡くなるなんて若過ぎ、気の毒に→短命=よくない」
というような思い込みが出来上がっているようだ。
でも例えば人に「お母さん亡くなったの早かったね!かわいそうに!」
と言われたらどうだろう?よく知りもしないのにうるさいわ、余計なお世話だわ、
と思わないだろうか。
と、なぜこんなことを書いたかというと、自分の中にある考え方、ものの見方の偏りに気づいたからで、
これって、今問題になっている森さんの「女性が多いと会議が長い」に
繋がるのでは?と思ったから。
現在『東京五輪・パラリンピック組織委員会』会長の森さんは、
日本ラグビーフットボール協会の会長だった。
私はかつてラグビー協会の裾の方にいたことがあって、ラグビー場で遠くに見たことはある。
当時周囲には、だいたい森さんのことを良く言う人はおらず、首相時代の失言の多いイメージのままだった。
だけどあるとき会食か何かが催され、それに参加して会った人は、
「森さんと写真撮っちゃった、俺、好きになっちゃったよ~」
と嬉しそうだった。
多分。
会って話せばいいおじさんなのかもしれない。
きっと、その辺にいるおじさんの「ったくよ~女ってのは話が長くてしょうがねぇや!」
って言うのとたいして変わりはなくて。それこそそういう人はいっぱいいるし。
でもそれもまたその人の中の偏りでしかなく、
話の長い人なんて男女問わずいくらでもいるし、
会議がはかどらないのはやり方がまずいせいかもしれないし。
大切なのは、自分の中の偏りを、まずは見るようにすることで、だけどこれがなかなか難しい。
そんなの直視したくないということもあるはず。
とにかくみんなどこか偏見を持っていると思えば間違いないのでしょう。
そのうえでどれだけ「でもこれって本当はどうだろう?」と思い続け、
その都度自分をリニューアルする柔軟さがあれば、
世の中も変わって行くし、自分も変わって行く中で
その思い込みで、自分自身を追い込まずに済む。
偏ったことを言ってはいけない、だから何も発言できない、ということじゃなくて、
「ある」ってことに気づくのがまずスタート。
森さんが辞任すればいいのかどうかはわからない。
適任じゃないという面では辞めた方がいいかもしれないけれど、
そもそも担ぎ上げてJOCの偉い人にしたのは誰だよといいたい、わかりそうなものではないか…。
そっちの方が問題かも。